2022年 07月 05日
朝日カルチャーセンター中之島教室「英語で学ぶ日本文化」June 2nd, 2022



M氏によると立葵のてっぺんの花が咲くと梅雨の終わりを告げるサインだそうです。画像が6/28に届きました。Thank you!
6月2日の朝日カルチャーセンター中之島教室の「英語で学ぶ日本文化」久しぶりのS氏!Welcome back!
もちろん久々なのでプレゼンのトップバッターです。
タイトルはやはり梅雨にちなんで雨と傘(Rain and Umbrella) 同氏のプレゼンの内容で数ある中、非常に興味深いものがありました。
今回はそれをご紹介したいと思います。さて、日本は雨が多い国のひとつでありますが、雨に関する語彙や異名はいくつあると思いますか?なんと一説では400語以上とのことです。
雨の強さや降り方にようる表現では霧雨(misty rain)、糠雨(ぬかあめ)(fine rain)、小雨(light rain)、俄雨(にわかあめ)(shower)、村雨(passing shower)、涙雨(teary rain)、天気雨(sunny rain)、大雨(heavy rain)、豪雨(downpour)、雷雨(thunderstorm)、季節による表現では春雨(spring shower)、菜種梅雨(spring drizzle)、五月雨(early summer rain)、梅雨(rainy season)、緑雨(new green rain)、麦雨(ばくう)(wheat rain)、夕立(evening shower)、狐の嫁入り(sunny rain)、秋雨(autumn rain)、秋時雨(autumn rain shower)、寒の雨(cold rain)、山茶花梅雨(さざんかつゆ)(sasanqua rain)、氷雨(sleety rain)。その他の区分の表現では草木を潤す雨ということで甘雨(fertilize rain)、瑞雨(ずいあめ)(auspicious rain)、慈雨(fruitful rain)、恵の雨(blessed rain)
様々な表現を表す語彙があって風情があります。





次にこちらも久しぶりにクラスに参加していただいたA女史。
蒟蒻が今回のミニプレゼンテーマです。蒟蒻の意外な使用法。
時代は大東亜戦争。日本からアメリカに上空10000メートルに吹く9000個発射されて1割はアメリカ本土に到着。ジェット気流を利用して風船爆弾を飛ばしていた日本。日本軍の試行錯誤によってできあがった風船爆弾は和紙を張り合わせた接着剤に使用されたのが蒟蒻。日本軍の暗号を解読し、ゼロ戦の分析では日本国民の考え方や風習まで徹底的に解明してきたけど蒟蒻については解明できなかったのこと。また第二次世界大戦ごろペニシリン開発で蒟蒻が使われたとのことです。実際、日本において蒟蒻を使用して作られたペニシリンは実用レベルに達していたそうですが、終戦とともにこの生産も終了しました。


J女史は和菓子の歴史について。和菓子という名前は第二次世界大戦後になってようやく辞書に現れるようになった名前のようでもともとはただシンプルに菓子と言われていたそうです。古代人は、野生の木の実や果物を採って食べていました。そして日本最古の加工食品といわれる餅が誕生。遣唐使のころには中国の大陸から唐菓子や唐果物が入ってきます。米、麦、大豆、小豆などをこねたり、油で揚げたりしたもので特徴のある形をしており、祭祀用として尊ばれこのような唐菓子が、和菓子に大きな影響を与えたと考えられています。次に大きな影響を与えたのは喫茶の流行。お茶は鎌倉時代初期に、栄西禅師が大陸から持ち帰って伝え次第に茶の湯が流行。室町時代の茶席には、「点心」と呼ばれる定時の食事以外の軽食がありました。当時獣肉食の文化がなかった日本は羊の肉に似せて麦や小豆の粉などでかたどったものを入れその羊の肉に似せたものが汁物から離れて誕生したのが羊羹の始まりで、当時は蒸羊羹と言われていたそうです。時代は流れポルトガル人やスペイン人により南蛮菓子が渡来。ボーロ、カステイラ、金平糖、ビスカウト(※ビスケットのこと)、パン、といったものが日本に紹介されました。戦も少なくなり情勢が安定していた江戸時代に様々な文化が開花し、菓子文化もその一つ。京都の京菓子と江戸の上菓子が競い合うようにして、菓銘や意匠に工夫を凝らした和菓子が次々に誕生しました。



さて7月の講座は次回木曜日7月7日です。七夕の節句の日ですね!
ではSee you soon! (T.M)


by connection-eigo
| 2022-07-05 19:22
| プレゼンテーション