梅田産経学園 『フリートーク』2/5

先週2/5に初めて梅田産経学園でフリートークが始まりました。018.gifこのクラスは元々はJTBカルチャーセンターでスタートしたものです。後、JTBカルチャーセンターは朝日カルチャーセンターと合併し、2年前に梅田校が閉館した際に、なんばパークス産経学園にてお世話になりました。ずーっと午前のクラスだったのですが、2月からは午後クラスになりまた違う場所なので少々慣れない感じでスタートしました。心機一転066.gifこれからもよろしくお願いします。058.gif

さて、S女史のプレゼンの日です。ハプスブルグ家第2弾です。前回はスペイン系ハプスブルグ家でしたが、このパート2では17世紀オーストリアハプスブルグです。この時期の時代背景はなんといっても宗教戦争が挙げられます。三十年戦争(1618~48年)は、ドイツ内の新旧両派の対立による宗教戦争として始まり、西ヨーロッパの新教国、旧教国それぞれの介入によって大規模な国際紛争となりました。また、フランスがカソリックでありながらも、スペインとは敵にあったので、途中で新教支援に転換しました。これはもう単なる宗教戦争にとどまらず、ヨーロッパの覇権を巡る国際的な戦争だったのです。この時期ハプスブルグ家は弱体化したものの、オスマン帝国の第二次ウィーン包囲(1683年)撃退の後に、再び、力を取り戻し、オスマン帝国を破りオスマン帝国支配下にあったハンガリーを奪還しました。074.gif

ハプスブルグ家が繁栄する中で、バロックアートがとても流行しました。ポルトガル語の 'barocco' から由来していて、真珠や宝石のいびつな形を意味します。付け加えると現在の意味での「バロック」という語は、後世の美術評論家によって作り出されたものであり、当時の芸術家は古典主義であると考えていました。中世のフォルムや、建築のオーダーや、ペディメント、など、ギリシア・ローマの題材を利用していたからです。このようなアートにハプスブルグ家は多大なるパトロンであったわけです。
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ハプスブルグ家というとマリアテレジアが有名です。1740年にカール6世が男子を欠いたまま没したため、神聖ローマ皇帝位を喪失し、オーストリアは長女マリア・テレジアが相続したものの、それを不服とするプロイセンなど列強との間にオーストリア継承戦争が勃発したのです。
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1789年のフランス革命は、ハプスブルク家に衝撃を与えたました。ルイ16世とマリー・アントワネットの処刑はハプスブルク家に脅威を与えました。プロイセンと共にフランスに出兵したのですが、フランス革命政府軍に敗れ、さらにナポレオン・ボナパルトの台頭を許して、やがて全ヨーロッパがナポレオン戦争の災禍に呑み込まれ行く動乱の時代に突入していくのでした。
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S女史がプレゼンでおっしゃっていたのは、この時代のヨーロッパ史は非常に複雑ということです。日本を含めアジアは各地域ごとに王国が誕生し、近隣の影響はあるものの、欧州ほど絡み合っていないということです。基本宗教というバックグランドが同じであることと、政略結婚は国間で行われていたので、もちろん政治にも大きく関わるがでるということで、ややこしいのでしょう。

ややこしい内容をとてもわかりやすくまとめたプレゼンになったと思います。次回は何でしょうか?楽しみです。
次回のフリートークは2/19です。T女史のプレゼンとなります。




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by connection-eigo | 2016-02-13 16:54