2012年 10月 29日
the origin of Halloween ②
数次にわたる迫害にもかかわらずキリスト教の広まりは衰えることなく、ついに、313年コンスタンティヌス1世とリキニウス帝によるミラノ勅令によって、キリスト教は他の全ての宗教と共に公認されました。その後もユリアヌス帝などの抑圧を受けたんもかかわらず、テオドシウス帝は380年にキリスト教をローマ帝国の国教と宣言しました。392年には帝国内の異教信仰が禁止されましたがローマ帝国の上流階層の古典信仰はその後も生き残りました。勿論、キリスト教がブリテン等に勢力を延ばしてはいっているものの、何世代にも続いている民間のまつりごとはそんな簡単になくなることはありません。勿論、キリスト教会はこれに対して何もしなかったわけではないのです。ボニファティウス4世は5月13日を殉教した聖人をたたえる日''All Saints Day''と設定しました。後、835A.D.,にグレゴリー4世がこの日を11月1日に移動し、ケルトのまつりSamhainへ取り替えました。
All Saints DayはAll HallowsもしくはAll Hallowmasとして知られています。Samhainが11月1日の前夜に祝われることから、10/30はAll Hallows Eve、後にHalloweenと呼ばれるようになりました。1,000A.D., キリスト教会は11月2は、聖人ではない、亡くなった霊をとむらう日All Souls Dayと制定しました。
カトリックを国教とする国は10月31日から11月2日を祝日とし、この時期、人々はお墓を訪れるのです。
16世紀になると、マルティン・ルターが宗教改革をおこしプロテスタント教会の源流を作りました。これは大きな波をカトリック教会にもたらせたらせました。
プロテスタントは11月1日のAll Hallows Dayを祝うことはありません。
1606年の11月5日、当時英国はジェームス王が王位の地についていました。プロテスタトであるキング王を王位からおろすためにガイ・フォークスという一人の過激カトリック信者が議会を爆破する火薬陰謀事件を企てたのですが、このもくろみは失敗に終わりました。11月5日ガイ・フォークスは火破りの処刑にあいました。
これにちなんでイギリスでは毎年11月5日に「ガイ・フォークス・ナイト」、別名「ガイ・フォークスの日」、「ボンファイアー・ナイト」、「プロット・ナイト(Plot Night)」と呼ばれる行事が北アイルランドを除く各地で開催される。ガイ・フォークスを表す人形を児童らが曳き回し、最後には篝火に投げ入れられて燃やされます。ヨークシャーでは、パーキンというケーキを、ガイ・フォークス・ナイトに食べる習慣があります。
伝統的に、11月5日が近付くと児童らが自作のガイ人形を持って近所を回り、「A penny for the Guy!(ガイ人形の為に1ペニー頂戴!)」と言って祭りに備える為のお金を募ったが、現在ではその風習は廃れ、今日では僅かに一部の地域でのみ見られるに程度となりました。現在では、主に篝火と打ち上げ花火を楽しむ行事となっています。
コネクション英会話スクールへのお問合せはこちらへどうぞ↓
電話: 06-6211-2181 E-mail: info@connection-eikaiwa.com
ホームページ: www.connection-eikaiwa.com
by connection-eigo
| 2012-10-29 19:15